滋賀県の石山寺を訪れました。ここは紫式部が『源氏物語』を生み出した地として知られる場所。
2024年大河ドラマ『光る君へ』で主人公となった紫式部のゆかりの地を巡り、千年前のロマンを感じる一人旅に出かけました。
源氏物語が生まれた地 石山寺へゆく
滋賀県は大津にやってきました!
今回訪れるのは石山寺です。
石山寺
創建されたのは天平19年(西暦747年)ごろ。幾度の焼失や建て替えによって、現存するのは1600年ごろのもの。
平安時代の貴族の間では石山寺詣が盛んに行われ、紫式部が源氏物語を思いついた場所という伝承が残っていることで有名。
他にも『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』の文学作品にも登場している。
本日の目的地はこちらです。
JRの石山寺駅を降りて、歩いて向かいます。
石山寺は学生時代から何度も訪れたことがあるお気に入りの場所です。
瀬田川がお気に入り😊
ぽかぽか気持ちのいい陽気の下、瀬田川を歩くと気持ちいいですね。
さてさて到着しました石山寺
平安時代には多くの貴族が参拝したお寺です。
紫式部が源氏物語の構想を得た伝承が残っているくらいですから、
間違いなく紫式部本人も訪れたことがあるでしょう。
受付でチケットを購入し入場。
右手にある大階段を上ります。
長い階段を上った右隣には巨大なご神木がございます。
天平時代の石山寺創建当時から存在しているそうです。
紫式部本人が来た光景も、見届けてきたんでしょうね。
広場には巨大な珪灰石があります!
1000年では石の形はさほど変わらないので、きっと平安時代当時のままなのでしょう。
大昔、ここらは石切り場として使用されていたそうです。
珪灰石を過ぎると本堂になります。
御本堂内部は撮影NGなので写真はありませんが、
しっかりと手を合わせてきました。
おみくじを引き、絵馬に願い事を書いて祈願させていただきました!
紫式部の『源氏の間』
石山寺の一番の名物は『源氏の間』です。
紫式部の雅なお人形が飾られています。
煌びやかで凛々しいお姿😄
現存している部屋は江戸時代前に再建されたものです。長い時を経て再建改築されたため、紫式部当時の建築は残っておりません
寛弘元年八月十五日夜に紫式部がこの部屋に泊まり、源氏物語の『須磨』『明石』構想を思いついたとされています。
その時書き留めておく紙がなかったので、大般若経の裏に書き留めたとか(笑)
後日、紫式部がおわびに大般若経の写本を書いて、石山寺に奉納したのですが、なんとその現物がなんと今も残っています!
2012年、私が石山寺に訪れた際、紫式部直筆の大般若経が展示されていたんですよ!
感動しました。それはそれは達筆でございましたよ。
今回訪れた時はありませんでした。その他にも実際に使った硯石が展示されているので、ぜひ足をお運びください。
最近お人形がリニューアルされ、綺麗になりました。
ちなみに
こちらが以前のお姿↓
大河ドラマでも紫式部が石山寺に参詣するシーンが2回ほど登場しました。
実際に紫式部がここに来られたかどうかですが・・・来たことは確実でしょうね!
歴史上の人物と同じ場所を共有するのはロマン感じますね
本堂を後にして、順路を進んだ先にあるこちらは多宝塔
源頼朝が寄進したそうです。
こちらは月見亭
瀬田川が眺められるようにせり出して作られています。
ここから眺める瀬田川と月はきっと美しいんでしょうね
その先をさらにすすむと、豊浄殿。
ここは紫式部をはじめ、様々な石山寺ゆかりの貴重な品が展示されております。
そして、さらに道を進むと
紫式部像がひっそりと建てられています。
紫式部像は結構分かりにくいところにございます。
見逃さないようお気を付けください。
石山寺で出会った千年のロマンと未来への願い
このブログは、世界中を旅して観光地マグネットを集める旅ブログです。
もちろん、世界を巡りますが、日本の美しい観光地も大切にしていきたいと考えています。
今回訪れた石山寺では、残念ながらマグネットには出会えませんでしたが、紫式部の足跡を辿れた貴重な時間を過ごしました。
平安時代という厳しい身分社会の中で、
決して身分は高くなかったけども、紙と筆だけで1000年も語り継がれる物語を書き名を馳せた紫式部
私が日本の歴史上の人物で好きなのが彼女です。
石山寺でのひとときは、紫式部の足跡を辿る貴重な旅でした。
彼女が過ごしたであろうこの地で、そのロマンに思いを馳せることができました。
日本の歴史と文化の美しさに心から感謝します。この旅を通じて、私たちが受け継いできた伝統や文化をこれからも大切に守っていかなければならないと、強く感じました。